沖縄のこころ『肝心』

エイサー 那覇まつりの初日、沖縄三越前で潤英先生と待ち合わせ エイサー太鼓
私は5分ほど遅れて到着ガ-ン(恐れ多くもお待たせしてしまい申し訳ございません)
入口違いで私はうろうろ、、、入口前の椅子に座っている潤英先生を見つけ
 
 私 「潤英先生、お待たせしました~、遅くなってすみませ~ん汗」 
 潤英先生 「沖縄タイムスにしないで琉球新報にしなさい!」

と、すかさず笑顔でギャグを一発!!うちな~タイムはよくないよと・・・いう意味びっくり!

まつりを見に行く前にカフェ一杯コーヒーでも飲みに行きましょうとご一緒させて頂いた
喫茶店「門」さん.
 沖縄のこころ『肝心』  沖縄のこころ『肝心』
昭和31年(1956年)に開業した「門」さんへ潤英先生が初めて訪れたのは昭和35年
そこで、30年ぶりに帰沖した潤英先生は同級生2人とおちあった.
三人は昔話に花が咲き、注文したコーヒーを飲むのも忘れ長い時間を埋め合わすよう
に喋り続けた.すると、ウェイトレスが何も言わずコーヒーを下げてしまったではないか
・・・三人は唖然とし、今は亡き労働局長を務めていた国吉さんが
「まだ飲んでもいないのに持って行きよった」とプンプンムキー
暫くすると、ウェトレスが入れ直した温かいコーヒーを持ってきました.
冷めたコーヒーでは不味いから・・・と先代オーナーのちょっとした心配りでした.
その気持ちに三人はここに沖縄の心ありと大感激したそうです!!
そして、潤英先生はその感動を翌日誌面でお伝えしたとのこと.

帰り際、そのエピソードを二代目オーナー(女性)にお話したところ、先代から新聞
へ掲載されたときの事は聞いていおり、スタッフ皆様が覚えていらっしゃいました.
その時、先代のそばにいた小さな娘が今のオーナーでした.
まだまだお元気なお姿の潤英先生を見て感動され、来年のカジマヤーは是非
国際通りでパレードを!!とのお声がニコ
潤英先生曰く、『門』は40年以上たった今も昔と全く変わらないとのこと.
小学生の頃、祖母と一緒にきた懐かしの思い出ある喫茶店で、心暖まるジーンと
くる物語を聞かせてもらえた私は更に感動ものでしたおすまし

そして、もう一つ!
潤英先生が帰沖中に与那国島へ訪れた時のこと.
与那国島の村長が迎えにきましたが車がない、この旅行鞄を持って島を回るのは大変だ、
さてどうしよう・・・、
 村長 「大丈夫だから、その辺の角に置いときなさい」  四つ角といえど道端である.
 潤英先生 「まさかや~~、何時間おいても大丈夫なのか?!」
 村長 「大丈夫、大丈夫さぁ、置紙しときなさい」

そして、島をめぐり観光を終えて旅行鞄を置いた場所へ!!
二時間以上たっているのに、旅行鞄はまだそこにあるではありませんか.
もちろん触られた形跡もなければ、そのまんまです.
「流石は沖縄だ」といたく感動された.東京生活の長い潤英先生は、何十年たっても昔と
変わらない温かい沖縄の心に触れ、改めて沖縄の根っこの素晴らしさを感じたそうです.

さりげない優しさが沖縄のこころだと.....

日常生活に密着したちょっとした思いやりやおもてなしの心、当り前のようで当り前ではない
ことを気づかせてくれます ニコニコキラキラ  沖縄に関わるすべての方々、すべての事象に感謝♪赤



タグ :Food.Drink

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